仮面ライダー555(ファイズ)から「差別・偏見」と「夢」と経営を考える。

こんにちは。
amazonプライムの閲覧利益がなぜか「韓流ドラマ」で埋め尽くされいる千葉県佐倉市の中小企業診断士がお伝えします!

中小企業の職場における硬直化した人間関係

中小企業では、組織の変更や人の入れ替えが少なく、

入社以来ずっと同じ人たちと仕事をしているケースが多くあります。

慣れ親しんだ仲間と働くことは、決して悪いことではありません。

お互いのことをよく理解し、会社や部署の目標や将来に向けて日々、協力しながら仕事ができれば、こんな最高なチームはないでしょう。

しかし、ある意味で硬直化した組織においては

特有の人間関係の難しさが生まれます。

それは「レッテル」とも表現できるかもしれません。

「あの人はこうだから」

という考えによって、

強い閉塞感が生まれる組織を僕は多く見てきたかもしれません。

このような閉塞感をとても素晴らしく表現しているのが

『仮面ライダー555(ファイズ)』の世界です。

『仮面ライダー555(ファイズ)』は人間の”悪意”を扱った意欲作

(出典:仮面ライダー公式ポータルサイト『仮面ライダーWEB』 https://www.kamen-rider-official.com/

『仮面ライダー555(ファイズ)』は2003年(平成15年)1月26日から2004年(平成16年)1月18日まで全50話で放送された平成仮面ライダーシリーズの4作目です。

この作品で新しく挑戦している点は、従来描かれることの少なかった怪人側のドラマにも本格的にスポットが当てられ、怪人(オルフェノク)へと変わってしまった者たちの苦悩が描かれていることです。

この点においては、前作『仮面ライダー龍騎』のように、ライダーに変身する人間が善良とは言えない者だったり、逆に怪人・オルフェノクにも正しい心を持つ者がいたりと、単純な善悪二元論では割り切れない「人間と怪人の共存可能性」のストーリーが描かれています。

さらに、ストーリーが進むと原則誰でもライダーに変身できることから、善人の人間と悪人の人間、善人の怪人と悪人の怪人がベルトを巡る争いに展開していきます。

余談ですが、ヒロインが現在の流行り顔である”タヌキ顔”であり、今ならブレイクするかもです。

仮面ライダー555(ファイズ)は「差別・偏見」と向き合った物語である。

この作品は「差別・偏見」に対する物語とも読み取れます。

本作における怪人オルフェノクたちは、一度死亡したものの、その後オルフェノク化する特殊能力を身に付けて蘇った人間です。

人間でいる間は通常の人間と何ら変わらないのですが、それ以上に通常の人間よりもピュアな性格の持ち主であるとも言えます。

なぜなら、このようにして蘇った人間たちは、悪意を持った人間たちによって一度殺された者たちだからです。

純粋であるがゆえ、悪意を持った人間に疎まれ、命を落とした者たちが怪人オルフェノクとして蘇るものの、

その際に「人間は滅ぼすべき者」として人間を強く憎む者と「それでも人間として生きていきたい」と葛藤する者に分かれます。

一方、人間側においても「怪人は全て悪」という原理主義者と「怪人だから悪というわけではない」という性善説論者に分かれます。

決して綺麗ごとでは片づけることが出来ないテーマがそこにあり、

恐らく制作スタッフは一つの覚悟をもってこのテーマに挑んだと思います。

そのように思った理由は、

物語後半にて主人公である乾巧(いぬいたくみ/仮面ライダー555)自身が怪人オルフェノクであると判明するからです。

善良な心を持ちながら、人間の悪意によって怪人化せざるを得ない登場人物たちを見ると、

往年の野島伸司ドラマのような閉塞感を覚えてしまうのは僕だけでしょうか。

残念ながらファイズの世界では、怪人全てが消滅することで物語は終結するのですが、

怪人が消滅しない世界で人間と怪人がどのように共存していくかという世界も見てみたいと思いました。

同時に「夢の苦悩」を扱った物語である。

また、この作品では主人公の乾巧は一般的なヒーロー像とは異なり、

正義感や夢を持たない等身大の若者のように描かれています。

実際に第7話において、

強敵に立ち向かうための対策として、友人菊池啓太郎(きくちけいたろう)が

「特訓とかしてみる?」という問いかけに対して、

「そんなカッコ悪いこと言うな。」

とたしなめたり、

夢を語る啓太郎に対して

「夢をもっているのがそんなに偉いのか?」

と食ってかかったりするシーンが散りばめられています。

しかし、このような主人公の態度であるがゆえに、

かえって相対的に「将来の目標や夢」がテーマとして際立つ物語となっています。

特に、「夢」を持つことの苦悩については、

様々なエピソードが散りばめられています。

例えば、

美容師になる夢を持つヒロイン園田真理(そのだまり)が

その就職先探しの中で美容室店長(経営者)との面談時に

美容師の夢について熱く語ることに対して

その店長は以下のように諭します。

「夢を持つまでは楽しいけど、夢を叶えるのは楽じゃないのよ。」

また、

事故によって演奏が出来なくなり、

怪人オルフェノクとなった海堂直也(準レギュラー化)は、

以下の名ゼリフを話します。

「夢ってのは呪いと同じだ。

呪いを解くには夢を叶えなければならない。

でも途中で挫折した人間は呪われたまま。

俺の苦しみはお前には分からない。」

このように「夢を持つこと」或いは「夢に敗れること」に対する苦しみが

本作の中にはたくさん含まれています。

そして、その際の「夢」は往々にして仕事に関することです。

つまり、本作は「希望の仕事・職業」をつかむ・つかんだことに対する苦悩が描かれていると考えることができます。

組織において差別・偏見をなくすし、夢を持つには?

ドラマの世界ですらこのような衝突(コンフリクト)が考えられるのですから、

現実の世界では、様々な苦悩があってしかるべきだと思います。

経営の世界では、

このような衝突(コンフリクト)を回避する手段として

「共通の目標・夢」を持たせることで、

対立軸を回避させ、あるべき方向に導く手法が考えられます。

(出典:『松下幸之助.com』 https://konosuke-matsushita.com/

パナソニック(旧松下電器産業)グループ創業者である松下幸之助は、

何年後に会社の規模はこのくらいに、売上はここまで伸ばしたいと、

事あるごとに将来の会社の姿を社員全員に公表していたそうです。

それはたとえば、

昭和31年の「五ヶ年計画」や、

昭和35年に発表した「5年後に週休2日制導入」が

代表的なエピックであると言えます。

その背景にあるのは、

「社員にしっかりした目標・夢を持たせたかったからであり、

また、それが経営者として正しい道だと信じたからだ」

という考え方から生まれたものだそうです。

松下幸之助は“夢を語る経営者”であると言えますし、

その夢が社員に働きがいを与えたと言えるかもしれません。